愛と憎悪のはざま

姉妹サイト「蒼天の残月…」にも書きましたケド、おくすりの影響なのか、浅い眠りの中、毎日の様に見る夢に落ち込んだりドギマギしたりの日々が続いてます

夢に出てくるひとびとは、不定形な人型をした影みたいなのも多いんですケド、ワタシがこれまでに出会ったひとびとが必ずひとりは出てきてくれます

縁の深かったヒトも、すれちがっただけみたいな薄い縁のヒトも…

最初のウチこそ、懐かしいヒトと久しぶりに出会えたみたいな気がしてちょっと嬉しかったりもしてたのですケド、なんだか最近は「コレって、ヒトのいのち火が燃え尽きようとするその時、ヒトはその一生を走馬灯の様に…」っていう、噂に聞く伝説のアレなのでわ…? などと、消えたがってたわりにはちょっとビビってたりもします

今日はバナナ屋のおじさんと落合模型店のおじさんがご出演くださいました

どちらも、ずーっと昔に小山市に住んでたオトコの子じゃないと知らないような、極めてマニアックな立ち位置にカテゴライズされるおじさんたちです

ワタシが高校生までの時間を過ごした小山市は、町の南北を東北線(ワタシは宇都宮線と呼称するコトを個人的に拒否します)が貫き、東に伸びる水戸線、西に伸びる両毛線の起点ともなる場所で、東西南北からひとびとが流れ込んでくる新興の工業都市です

近代以前も、奥州・上野・下総とを結ぶ要衝であることから、宿場町として栄えていたそうです

この町のほぼ中央を南北に流れる川が思川で、この川の東側は台地状に隆起した旧市街、西側は河畔との高低差の少ない稲作地帯です

治水技術の未熟な時代から、この東西の高低差こそが身分の差だったそうで(今はボケちゃったけど昔はとっても聡明だったおばあちゃん談)、ひとたび雨で川が増水すれば大暴れする濁流のせいで、河西のひとびとは命からがらの状態だったそうです(ワタシが小学生くらいの頃にもすごい大雨があって、コンクリで造られた巨大な橋脚が流されて橋が落ちちゃうコトがあったくらいでした… ちなみにこの橋脚あたりのトコで、少女少年がボコられた設定になっています)

そんなワケで、古来より川は異界との境界であるのと同時に、河原っていうのが被差別者の棲まうエリアとして明確に区分されていたコトと考えあわせても、極めて得心のいく構造でできあがっていた町なわけです

なんつっても、台地状に切り立った東岸からは、川をはさんだ対岸を(物理的に)上から目線で望める(とうぜん、西岸からは東岸を下から目線で仰がざるを得ません)んですから、「物理的な地形が精神に与える影響」なんていうテーマで論文のひとつでも書けちゃいそうな、そんな町でワタシは育ちました

ワタシの両親は、ちちもははも、いわゆる浮き草みたいな「流れ者」同士で、どっちも田舎から家出して東京で出会い、たまたまくっついて、いきおいでワタシが発生し、ちょっとは腰も落ち着けなきゃならないかっていうので、高度経済成長にのっかって発展し始めたその当時の新興工業都市であり、母方の地元の近所でもあるこの町に流れ着いた… のだそうです(本人たち談)

ですからワタシたち家族は、いわゆる「のヒト」=根っからのネイティブではありません

現在までの小山市民を構成する大部分は、そういう、東西南北からの流入者によって構成されています(近年は外国人労働者の流入が顕著です 当時のウチの両親と似たようなものですね)

対して、「地のヒト」… つまり川の東岸の台地に昔っから住んでる旧市街のひとたちっていうのは、根が上から目線で育ってるからなのか、どこかしら流入者を卑賤視してるみたいな、一格下に見てるみたいな、そんなにおいを発するトコがあったような気がします

「この町はオレらが営んで造ってきたものだからな、おめら流れモンが居ついてあんまり勝手なコトするんじゃねえべよ」みたいな、そういう、ちょっと尊大な気分がドコかしら臭ってくるのを、ふとした瞬間に感じたりしたものです

それは、ワタシが流れ者のコドモであったというのと同時に、小学校を3つ転校したりして(転校生はまず周囲の好奇に晒され、しかる後いわれなき区別を受け、そして郷に入るコトを拒めば敵とみなされて攻撃の対象となりますから)、そういうのに過敏になってたりしたが故なのかもしれません

異端は除外・攻撃の対象… っていうのはこの小山市だけじゃなくて、古今東西世界中であるコトなのですケド、その象徴みたいなつもりで、ワタシはこの小山市という町と向き合っていました

理屈っぽい皮肉屋としての芽を育んでいた当時のワタシにとって、そういう小山市というのは憎悪の対象でした

あの町が大っ嫌いだったし、今でもまだ大っ嫌いなままです

でも、コドモという生物は、好きだろうが嫌いだろうが、とりあえず自分が立っているその場所で生きていかざるをえない… そういう可哀想な生物ですから、その大っ嫌いな町の中でも、とりあえず少しは居心地の良さそうな場所を見つけて、「いつかこんなクソったれなトコからは出てってやるぞ(あぅ 乙女設定がまたしても…)」と機会を窺ってるような日々を過ごしていました

自分が一体どんな場所でどうやって生きているのかをちっとも客体化して見れない… のっぺりと平たいだけの このつまらない町で、これまでと同じようなこれからを、この先もずっと続けていくのだろうかと考えると、いつかは発狂してしまうんじゃないかと思っていました

自分が天地の全てみたいに思って毎日を喘ぐように生きているこの町を、ちゃんと客体化して眺められる、丘や山みたいな場所の存在に憧れました

「なんだ、どうってコトのない、小さくてつまらない町を世界の全てだと勘違いして、とくべつ大したコトでもないモノに気持ちをざわつかされてただけじゃん」って、ふっきってしまいたかったのです

<よしだたくろう:おろかなるひとり言>

バナナ屋と落合模型店(ふぅ、やっと登場^^;)は、当時のそんな小山市に住んでたオトコの子が必ず一回は足を踏み入れたコトがあるはずのおもちゃ屋さんでした

バナナ屋って名前なのにおもちゃ屋、ってヘンテコに思えますケド、このお店は小山駅西口を出てすぐの、いわゆる都会の一等地に立地された、フルーツ屋さん兼おもちゃ屋さんなのです(通りに面した入り口を半分に分割して右がおもちゃ屋さん、左がフルーツ屋さんでした)

バナナも売ってるけどおもちゃも売ってるの(オトナのじゃないょ^^;)

ココは、うなぎの寝床みたいに入り口が狭くて奥が果てしなく深くて、おじさんと見知った仲のコと一緒だと、地下の倉庫にも入れてもらえたりするのです(倉庫の中に欲しかったおもちゃを見つけたりするとホントに嬉しかったものでした)

落合模型店も、小山駅西口からほど近いあたりにあって、当時の小山市の中でいちばんの模型店らしい模型店だったのではないでしょうか(模型店らしからぬ模型店ならほかにも小山商会とか宇宙堂とかの猥雑なのがあって、そっちのがだんぜん面白いんだけど)

ココでタミヤのスケールモデル(おっきいヤツね)を買って、夏休み期間ぜんぶかけてこみっちり塗り上げて完成させるのが、当時の小山市に住むオトコの子の標準でした

このふたつのお店のおじさんたちが夢に登場くださったのです

どっちも、旧市街に住む根っからの「地のヒト」です

だからなのか、なんとなく驕慢なのです

どっちも、商売人としては何らかの大切な気質が欠如しているヒトたちで、ちょっと長居してると「買わないんなら出てって」ってのが口癖みたいなおじさんたちでした

バナナ屋のおじさんが露骨で、おじさんと見知りなコと一緒なら奥まで入れてくれるのに、ワタシだけだとダメなのです

ちょっと見てるだけなのに「買わないなら出てって」なのです

夢の中でもあいかわらずでした

せっかく見つけたミクロマンなのに売ってくれないのです

マイキットも、箱を見つけて「うゎー、マイキットだよーっ!」って感激してただけなのに、まるで隠すみたいに奥にしまっちゃうのです

落合のおじさんはタミヤカラーを売ってくれません

ミスターカラーだと色味がキツすぎるからって言っても売ってくれないの

そしてやっぱり「買わないなら出てって」なのです

コドモだと思って、流れ者だと思って、オカマだと思ってバカにしやがって… と怒りに震えるワタシは、大人になったオカマの私でした

でも、あの頃とちがって、仕事を辞めたワタシには退職金があるんだもんね

あの頃とちがって、大人になったワタシには理屈を理屈として皮肉っぽくしゃべれる舌だってあるんだもんね

さんざんに相手の差別意識をあげつらい、それが如何に根拠のない、取るに足らないものであるかを弁じたてました

でも、夢の中のおじさんたちは牛の様に鈍重で、ひとしきりワタシの皮肉を聞き流すと、さも面倒くさそうに「買わないなら出てって」を繰り返すだけなのです

何をどう言ってもダメなのです

どうしようもない様な、とてもくやしい気持ちに苛まれました

店を飛び出して「ちくしょうっ!」と、天に向かって呪いの言葉を叫びました

瞳からあふれてくる涙をぬぐってもぬぐっても… っていうのはウソです

叫んだトコで目が覚めたのです

<浜田省吾:DADDY’S TOWN >

バナナ屋も落合模型店も、その後の駅周辺の再開発事業のせいで今はなくなってしまいました

もしもドコかに現存していて、大人になったオカマのワタシが行ったなら、ちゃんと売ってくれるかしら

売ってくれなかったらどうしましょう

「買わないなら出てって」って今でも変わらずに言われたりしたら…

案外嬉しくなって抱きついちゃうかもしれませんね

「変わらないでいてくれてありがとう」ってね…

「故郷」というものに対する愛と憎悪についての、よくわからないおはなしでした^^

<尾崎豊:坂の下に見えたあの街に>

コメント

  1. ビバ☆メヒコ より:

     室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの  そして哀しく歌ふもの・・・・・異土の乞食となりとても 帰るところにあるまじや」をまさに地でいく感じなのだなぁ。
     私はそう言う感情がないので理解は出来るが、共感は出来ないかも。
     大昔が舞台の夢って見ますね。ヒバリ屋というおもちゃ屋でライディーンの超合金買って、勇んで帰宅するとなくなっていたという夢を続けてみたことがある。幼い頃の記憶ってどうなってるんでしょうね。

  2. すずね より:

    >ビバ☆メヒコさま
    共感できないのは当然です
    なんつっても「やまとはくにのまほろば」なんですから{%サクラ(チカチカ)hdeco%}
    高校生の頃ならったあのうた
    やまとはくにのまほろば たたなずくあおがきやまごもれる やまとしうるはし
    そのやまとに生まれ生きてるんですから、あたしに共感なんかしたらバチが当たるってもんです{%顔文字キライhdeco%}
    でもあのうた…「異郷の地」で死の淵にあったヤマトタケルが、きっと帰りつけないであろう故国を想ってうたったからこそ、一層の深みがあるんですよね
    あたしも、あの町をそんな風に謳える舌を培いたいものだと思っています
    ↓へ続く

  3. すずね より:

    記憶って、自分では自覚しないくらいに忘却しているかのようでも、身体を通したものだと決して忘れていないような気がしませんか?
    なにかをきっかけに、ふっとその肉感(痛みや快感やドキドキみたいの)を、ありありと思い出したりします
    知識とはちがうパーティションに、書き換え不可の状態で層々と積み重ねられ、なおかつ書き換え不可のクセにその色合いが年月とともに、いつの間にか全てが「いとおしいもの」へと変質していく
    不思議なガラクタ箱の中身をほじくりかえしてみるのも、懐古主義とは別の意味で、甘美な味わいに発酵したお酒を試飲するみたいで、たまには良いもんです
    おいしい梅酒が漬かったかなぁ…?ってね{%わくわく(チカチカ)hdeco%}

  4. すずね より:

    >みるくはうすに遊びに来てくださった皆様
    おろ?
    ネット界の僻陬ブログになにやらトラックバックがつきましたょ
    なになに、セフレ?
    すずねカマトトだからわかんなぁい
    って、なんでまた、よりにもよってこの記事に付くのかなぁって、トラバ先を辿ってみたら…
    落合 高校生 出会い
    この三つでひっかけてきてたのね
    たしかに入ってるわ、そのワード…
    このサイトの運営ポリシーである「乙女設定」にはそぐわないケド、まぁ、しばらくの間はおもしろいからのっけといてあげますゎょ
    あたしが出会いたいのは、ダルみたいなカンジのちょっと強引なエスっぽいおにいさんなんだケドなぁ…
    このトラバ先じゃ無理そうだわ{%涙(ヒタヒタ)hdeco%}

  5. 梵我一如

    数日前から、ペルーのマチュピチュで、豪雨のために邦人70名以上が取り残されているという報道が流れている

  6. プラダ 財布

    愛と憎悪のはざま この世の涯てで 恋を歌うオカマの残骸/ウェブリブログ

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました