浅い夢を見た
ソコで、ずいぶん久しぶりにあの娘に会った
夢の中でさえ、何年ぶりのコトだろうか
ちょっと厚手の、ざっくり目に編んだ、ニットのグレーっぽいチュニックワンピみたいのを着ていて、ライトイエローのタイツ、フリンジがかわいいショートブーツを履いていた(着てるものは今風だなぁ なんとなくヒヨコみたいでカワイかった)
ワタシはオトコの子の姿だった
とても楽しそうにワタシと話す彼女の仕草や表情や声音が、夢の中だけに異様な鮮明さでワタシの目と耳に焼きついた(クスリとかやるとあんな風に見えるのかな)
極微なサイズの光の粒々に彼女が包まれているかの様で、光をまとった彼女の一挙一動が超スローのフルHD画質で再生されているカンジ
ワタシと彼女はあの頃みたいにとても仲良しで、たくさんおしゃべりをした
彼女がおかしそうに、うれしそうに笑う表情も声もあの頃のまま
薄暮れ時がやってきて、彼女が家に帰らねばならない時間になった
自転車を押して、ワタシと彼女は小山駅までおしゃべりしながらだらだら歩いた
小山駅東口の改札へ向かう階段の近くで、彼女はワタシに向き直り「じゃ、いくね またね」と微笑んだ
「うん」と笑顔で応えた
少しずつ遠ざかる彼女の後ろ姿を見送っていたら、20mくらい?先で彼女がふいに振り向いてワタシに何か大きな声で言った
なんと言ったのか、遠くてよく聞こえなかったけど、キレイな、くもりのない笑顔だった
よく聞こえなかったけど、彼女の笑顔にワタシは嬉しくなって、それに応えて笑顔をつくろうとしたけど、なぜだか突然涙があふれてきた
涙でにじんで彼女がよく見えなくなった
ぬぐってもぬぐっても涙があふれてきてどうしようもないから、ぬぐうコトはあきらめた
にじんだ彼女は、それでもワタシに遠くからなにかを言っている
応えようにも嗚咽のようになってしまってコトバにならない
(何故だか)ゆっくりと、ワタシは彼女に敬礼をした
(にじんで良く見えないはずなのに)彼女はうれしそうに、おかしそうに笑っていた
彼女は、バイバイという風に小さく手を振って、そして再び駅に向かって歩き出した
彼女の姿が人ごみの中に消えて見えなくなっても、ワタシは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、突き上げてきそうになる嗚咽を押し殺して、それでも敬礼していた
実際の彼女は、おきゃんなトコがあるかと思えば、森奥の深く透明な泉のように神秘的静寂に包まれていることもあったし、おともだちときゃらきゃらおしゃべりしながらじゃれあっていたかと思えば、斜陽の窓辺でひとりぽつんとして何かを書きとめていることもあった
その振れ幅の大きさは、いま冷静に考えても異常なほどに大きく(かと言って躁鬱症的じゃないんだよなぁ)、時に彼女のココロをつかまえたかと思うことがあっても、スルリと私の腕の中から抜け出し、悔しがるワタシをちょっと離れたトコからくすくす笑ってる妖精… といった雰囲気を纏う、一種 蠱惑的な魅力の娘だった
ワタシの10~20代前半というのは、簡単に言えば「彼女という捕らえ難い美しい妖精を捕らえるため、どこまでも森の奥深くへと足を踏み入れ、そして迷い子になってしまった季節」だと言えるのだろう
彼女とは、小4から中3までの6年間のうち中2を除く5年間、どうしたワケかずっと同じクラスだった(ベビーブーム絶頂の頃で40名以上のクラスが9つもあったのに、これってちょっと運命的じゃね? 男子にも女子にもとっても羨ましがられたのょw)
ちょっとボーイッシュで、でもとっても繊細で、しなやかで、思慮深くて、ワタシがバカなコト言えばけらけら笑ってくれるくせに、でもどこか哀しそうな、はかなげな… ちょっとだけ快活なロビンちゃんみたいなオンナのコ
そのコに… つまりオンナのコに初めて恋をした(と同時に、自分の性別を認めざるを得なくなった)
インドア派で、集団競技が何よりキライなハズのワタシがバスケ部なんぞに入部したのも、すべては彼女を見ていたかったからだ(3年のとき新体操部ができて、彼女はソッチに行っちゃったケド…)
小学校まではホントに仲良しだったケド、卒業の時にコクってしくじってしまったせいか、中学に入ってからはなんだかお互いに意識してしまって、ちょっとそっけないカンジになった(仲は良かったんだけどね)
その後、彼女は女子校に進み、ワタシは(いたしかたなく)男子校へ進んだ(彼女が共学を選んでいたら、間違いなくおんなじトコを志望しただろう)
小学校までの反動か、中学では素行が悪くなってかなり暴力的になっていたワタシは、高校進学を機に、どんな時でも彼女を守れる、彼女にふさわしい強いオトコにならなければ、と思った
強くなるために、オトコになるために、ワタシは独りになった
独りの寂しさを克服できなければ、自分の内の「オンナ」を滅殺できなければ、ワタシは彼女に会ってはいけないのだと覚悟した
独りを克服し、自分の内の「オンナ」を滅殺し、本当に強いオトコになった時、ワタシはもういちど彼女の前に立とうと思っていた
もう一度、彼女に真正面から「ワタシハ アナタノコトガ ダイスキデス」と告げるつもりだった
もう一度、彼女に真正面から「ワタシハ アナタヲ ドンナコトカラモ マモリマス」と告げるつもりだった
もう一度、彼女に真正面から「ワタシノスベテハ アナタダケノ モノデス」と告げるつもりだった
達せられぬまま、ワタシはオカマになった
彼女をリアルで最後に見たのは大学1年の夏休み
中学のときのともだち(てっさい・ふるちん・なべくら・じんぺい)と夜通しで川原で酒飲んで、日の出前の夜が白んできた頃、自転車ころがして自宅へ帰る時だった
中学まではショートだった髪を、彼女は胸下くらいまで伸ばしてた
どこかへ出かけるのに、駅へと歩いていく途中だったのかもしれない
ワタシは酔っていて、最初わからなかった
そのヒトが立ち止まり、自転車で通り過ぎるワタシを見ているのがわかったから、薄闇のなかのそのヒトを、朦朧とする酔眼を通してほんの少し、すれ違いざまにちらりと見た
キレイな、でもちょっと哀しそうな、そんな表情のヒトだった
自転車はそのヒトを通り過ぎる
通り過ぎる時、そのヒトが、少しだけうつむいたのが見えた
少し行ってから、ふるちんが振り返って「くみちゃんだったね」とワタシに言った
やっぱりそうだったか
急いで引き返そうか、とも思った
でも、引き返さなかった
ともだちと一緒だったのもあるけど、それだけじゃない
哀しそうな表情の彼女を見てしまったからかもしれない
少しうつむいた、哀しそうな表情の、そのわけを知るのが怖かったからかもしれない
19になったばかりの夏だった
あれ以来、あの娘には会っていない
その後の消息も知らない
あの娘の家があったところは、再開発されて公園とマンションになった
あの娘と歩いた小山駅への道々の風景も、ワタシが夢の中で敬礼した場所も、振り返ったあの娘の背景も、もはやそのような景色はドコにもない
その彼女と、ついさっきまで一緒だった
つい今まで、ワタシは見えなくなった彼女の後姿に敬礼をしていた
目が覚めたソファーの座面は、涙なのか鼻汁なのかよくわからない液体で今もまだありありと、現実に、たしかにほのかな温もりをともなって湿っている
コメント
そういう心の奥にある痛い記憶が夢として生々しく表出する時、目が覚めたら泣いてたりするよね。わかる。わかる。よくわかる。
今大切な人とその時大切だった人は、比較しようがないけれど、やはり思い出だけに過去の方が綺麗で澄み切っているんだよなぁ。夢で会えるだけ良かったなぁ。俺はまだ夢で会いたい人に、会えずにいるわ。
>ビバ☆メヒコさま
別れ際、夢の中のあの娘は「またね」と、ワタシに微笑んでくれました
またいつか、あの娘に会える時があるのでしょうか
その時もあの娘を、くもりのない澄んだ笑顔で満たせるのでしょうか
最後にあの娘を見た時のような、かなしそうな、少しうつむいた表情にさせてしまったりはしないでしょうか
夢の中のあの娘は、最後に何とワタシに言っていたのでしょう
嬉しかったハズなのに、どうして涙があふれて仕方なかったのでしょう
ワタシはあの娘に何と言って応えたかったのでしょう
何も応えられなかったワタシが、敬礼をしようと思ったのは何故なんでしょう
↓へ続く
「ワタシに会いに来てくれて本当にありがとう」という感謝
「このままずっと、ドコにも行かず、ココにワタシと居ておくれ ワタシをおいて、手の届かないドコかに行ってしまわないで」…それをクチにだせないままの現実だったコトへの悔恨
あの娘が「明日もその次もずっと、今日と同じような澄んだ笑顔でいれますように」と願う祈り
「またきっといつか、今日と同じように、あの頃みたいになかよしのまま、ココで会おうね」と期した、コトバにならないままの約束
「キミにふさわしい、強いオトコになって、迎えにいけなくてごめんね」という謝罪
それらの総和を「敬礼」という、場面的にはちょっと滑稽だけど、だけど相手に対する最大の敬意の象徴みたいな動作にして表したのかも知れません
↓へ続く
あの娘が最後に叫んでくれたコトバ…そのコトバは本当は「大好きだよ」でも「元気でね」でも「必ず会おうね」でも、ワタシにとっては別に何でも良かったのかも知れません
だってあの娘は、これ以上ないくらいの極上の笑顔で、「ワタシだけに」微笑んでくれていたのですから
それだけでもう、充分に、あの娘のためになら死んだって構わないと、漢としての気概ってヤツを奮い立たせてくれるんですから
漢ってのは、そうゆう、バカな生物を指す名前なんですもんね
動画、「初恋」と「恋の味」のあいだに浜田省吾の「いつかもうすぐ」を追加しました
実際には迎えには行けなかったけどね、「行きたかったんだ」という悔恨を込めて、「行けなくてごめんね」という懺悔も込めて、ここに記しておきたかったから…
あのころぼくはまだ18で 望めば全てが叶うと信じてた
「いつかもうすぐ」聞いてたら泣けていた。叶った小さな夢が思ったものとは違って、それ以上の夢は実力不足で叶わない。
叶った夢は人から言わせれば幸せで。私にとって身分不相応かも知れない。でも。
子どもの成長が今の夢なんて、陳腐かな?でもそれは今までで一番大きな夢だわ。子どものために屈辱にも耐えられるし、笑っていられる。
それすら危ういから、大切なヒトが見えていれば上出来
ココにときどきコメントを残してくれる千葉っぷ氏から、facebookを通じて連絡があった
36年目の夏
地域の救急救命センターが付近にあるせいで、毎夜、夜半過ぎのサイレンが数回は響く