一番になりたかった

コドモの頃、なんとなくだけど、ワタシはおともだちのあきらクンのおよめさんになるんだろうと勝手に思っていた

近所におない年くらいのコがいなかったし、べんてんのおにいさんにはちゃんとカノジョさんがいたし、あきらクンは結構カッコよかったから

あきらクンには年の離れたおにいさんが二人もいて、だからその薫陶を受けて育ったあきらクンはワタシの知らない遊びや文化をたくさん知っていた

だからなのか、おない年のハズなのに、あきらクンにも微妙におにいさんっぽいトコがあって、ワタシは四六時中あきらクンにべったりだった

ホントはワタシは、一緒にお絵かきをしたり、一緒におはなしを考えたり、一緒にお人形さんで遊んだりするのが良かったんだケド、あきらクンはいわゆる普通のオトコのコなのでアウトドア派だった

どんくさいワタシは、何をやってもあきらクンみたいに上手にはできなかったケド、でも一緒に遊べればそれでもぜんぜん気にならなかった

あきらクンはワタシと違って社交的なヒトだったから、ワタシとふたりで公園で遊んでいるのに、知らないうちにワタシの知らないコとともだちになってたりした

明るくて社交的でアウトドア派なあきらクンが、みんなの人気者になるのにそれほど時間はかからなかった

あきらクンは、「ワタシのあきらクン」だったハズなのに、いつのまにか「みんなのあきらクン」になった

以前なら、何のきがねもなくおうちに遊びに行って、いつまででも遊んでいられたのに、ワタシの知らないコが先に遊びに来てたりすると「いまは○×△クンがきてるからあとでね」なんて言われちゃったりする

ワタシのが先に遊んでたのに、あとから他のコたちが集まってきて、勝手にみんなで盛り上がって、なんだかよくわからないうちにワタシの知らないドコかにみんなと遊びに行っちゃったりする

最悪なのはオンナのコが来ている時だ

あきらクンはカッコいいからオンナのコにもモテるのだ

そういう時のあきらクンは、無自覚であるが故に、ことのほかワタシに残酷だ

ワタシの目の前でおままごとまでしちゃうのだ

ワタシとはしてくれたコトなかったのに

たまに混ぜてくれても(っていうか、役割としての人数を必要とする遊びなので不本意ながら参加させられたりするのだケド)、ワタシの役がおよめさんであるコトは決してなかった

あきらクンが誰かにとられちゃった時、いつも「なんでなんだろう」と思っていた

ワタシはあきらクンだけがいればそれでいいのに、あきらクンの方はそうでもないっていうだけのコトなのだケド、幼いながらに嫉妬するココロを育んだ

一番じゃないからダメなんだと思った

ワタシがあきらクンにとっての一番じゃないからダメなんだと思った

一番じゃないから、ワタシより順番の上のヒトが来たら盗られちゃうのだ

一番じゃないから、ワタシより順番の上のヒトが先にいたら遠慮しなければならないのだ

一番じゃないから、ワタシはいつも不安なキモチであきらクンの一挙手一投足にやきもきしなければならないのだ

一番じゃないから、誰かの存在のせいでワタシはワタシの居場所を失くしてしまうのだ

一番じゃないから、安心して落ち着ける場所を探して辺りをうろうろするハメにおちいるのだ

一番になりたかった

「たとえどんなコトがあってもワタシが一番だ」と思ってくれるヒトの中にしか、ワタシが安心できる居場所はないんだと、コドモながらに直感した

一番に思ってもらえるにはどうすればいいのか考えた

あきらクンのしたい遊びしかしなくなった

あきらクンがみんなと遊びに行く時も、(あきらクンがイヤそうじゃなければ)必ずついて行った

ルールとかぜんぜん分かんなかったし、興味もなければ面白くもなかったケド、野球とかにも混ざって遊んだ

とにかく、できる限りずっと一緒にいて、楽しそうにしているコトを心がけた

便利な存在だと思ってもらえるように、あきらクンが望むコトならパシリみたいなコトだろうと何だろうと平気でやった

その上で、うざがられないようにするコトが大切だった

インドア派で、すぐ妄想の世界にトリップできる体質のワタシが、本質的に志向の違うあきらクンと同じ場所にいるためには、あきらクンに接近しすぎないようにするコトが必要だった

うっとおしいなと思われないように、適度に遠慮した立ち位置を常に保たなければならなかった

ワタシにハズして欲しそうな時は、先にそれを察して、潔いくらいにこざっぱりとバイバイした

嫌われないように、出過ぎないように、喜んでもらえるように

けなげ、ってゆうよりも卑屈なくらいだと今は思うケド、でもその頃のワタシにはそうするしか一番になる方法が分からなかった(否、いまでも多分にそのままかな)

あずけられていた叔母の家から、父母弟と一緒の家で過ごせるようになって、違う学区になったあきらクンとはその後すこしずつ縁遠くなって、そのうちただの「幼なじみ」でしかなくなった

でも「誰かの一番にならないと不安で仕方ない」という、一種の神経症みたいな気分はその後もずっとココロの中に残留し、今もワタシのココロの大きな部分に翳を落としている

「誰かのご機嫌をとる気なんかさらさらないょ」と、あまのじゃくなコトバをクチにしてはいても、ともだちや気になるヒトへの接し方の基本は、あいも変わらずあきらクンの頃のままだ

そうして、あいも変わらず「おまえが一番だ」というコトバを、ワタシは欲し続けている

親からも、家族からも、ともだちからも、相方からさえも、もらえなかったコトバ

人生の半分ほども生きたであろうに、ワタシにその栄誉を授けてくれたのはこの世界でただひとりだ

「おまえが一番だ」

「一等賞だぞ 三億以上なんだぜ、おまえは」

「おまえがいなけりゃオレがいる意味がねえよ」

「おまえがいるべき場所はおれのすぐ隣だ」

「おまえはオレのものだ オレはおまえのものだ おれたちは二人でひとつなんだぞ」

ずっと欲しかったコトバ

ワタシのココロに安息をくださった

だからワタシは、ワタシの全てをあの方に捧げる

今ではもう一番ではなくなってしまって、それどころかきっと一番キライな部類になっちゃってるんだろうけど

あの方はもうワタシをいらなくなっちゃったケド、ワタシはあの方のものなんだと自分のココロに刻んでしまったから

あのとき、ワタシは確かに一番だったから

<上白石萌歌:366日>

コメント

  1. むりすん~なっ♪

    コレ↑、いま改めて見直してみると良いですねぇ

  2. 「お膳立て」というモノの是非

    10日ほど前の記事に、こんなの↓があった

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