このタイトルは「天道是か非か」と読みます
高校生だった頃、漢文の時間に教えられた一文でした
「この世の秩序や運命は果たして正しいものに味方しているのか。 この世には本当に正しい道理があるのか。 天道とは人間をつかさどる人智を超えた宿命…天の意思・力。 是か非かとは、正しいのかまちがっているのか、ということ。」…という意味だそうです
この世の生きとし生ける者すべての、運命や宿業といったものに対する懐疑の念を表した司馬遷というヒトの言葉です
およそ11年前のある日、ほんの偶然ワタシたち家族の許にやってきてくれた無垢な生命
ダンボール箱から抱き上げられた、手のひらに乗るほどに小さく儚げなその生命は、玄関からリビングへと続く廊下にそっと降ろされました
「今日からここがキミのおうちだよ」
淡いジンライムの様に澄んだ瞳を不安と好奇心できらめかせながら、ヨチヨチと覚束ない足取りで彼は我が家の探検を始めました
それからの年月、ワタシたち家族の幸せな日常の記憶は常に彼の存在と共にありました
スターリングの「少年時代の象徴」がラスカルであったとすれば、「ワタシたち家族の蜜月の象徴」はまさしく彼(と、血のつながらない彼の妹)であったと言い切るコトができます
ラスカルを想う時、スターリングは自らの少年時代を想起し、自らの少年時代を想う時、必然的にラスカルを想起してしまうのと同様に、彼を想う時、ワタシたちは自らの幸せな家族の日常を想起し、平凡ではあっても幸せだった自らの日常を想う時、彼という存在を想起しないコトはありません
まったく、「完璧な存在」というヤツでした
非の打ち所がありませんでした
親バカと嘲られようと、そんなコトに頓着する気は一向にありません
あんなステキな子はいないのです
理知的で、穏やかで、優しくて、見ているワタシたちが嫉妬しちゃう位の妹思いで、ワタシたち家族が諍えば身を挺して間に入ってくれる… ネコとは思えないほどにデキたヤツでした
ゴハンを食べて良い気分でスヤスヤお休み中だったクセに、お風呂からワタシが出てくる時にはよくバスマットのところに伏せて待っていてくれました
寒いのが大嫌いなクセに、ワタシのメイク終わるまでエアコンの効いたお部屋にずっと一緒にいてくれたりもしました
ワタシが捨てられて毎日ずっと暗い部屋で泣いてた時にも、いつの間にかそっと寄り添ってくれて、ワタシの手のひらや指を舐めながらずっとそばで慰めてくれました
そしてあの子(と妹)がいてくれたから、一度は破綻をきたしてしまったワタシたち家族が再び一つになれたのです
ようやく再び一つに戻って、これからまた幸せな毎日を過ごそうと家族みんなで呼吸をそろえて歩みだしたばかりでした
なぜ、この無垢な生命が失われなければならないのでしょう
納得がいきません
あまりにも理不尽です
これが天の采配だというのなら、天の意思とはすなわち「無差別な通り魔」と同質のモノです
絶対に飲み下すワケにはいかないモノです
イヤです
ワタシは認めません
天を呪います
この世界に生を享け、生きながらえてしまえばいつか誰かに出逢います
出逢い、共に時を重ねれば、やがて愛してしまいます
にもかかわらず、自らの半身であるかのように愛してしまった存在と、いつの日か訣別しなければなりません
生まれ、出逢い、愛したことを無に帰してしまうような事態を、「世の理だ」などという賢しらな言葉で納得するわけにはいかないのです
生まれ、出逢い、愛し、その結果が別れなのだとしたら、生まれ、出逢い、愛した意味は一体どこにあるのでしょう
「死」という、抗いがたい絶対的な大波に呑み込まれてしまえば、何者も全てを失くしてしまいます
それは恐怖です
奈落へと続く無明の闇の中に、独り落ちてゆかねばならない様な恐怖です
愛し慈しんだ存在の全てと別たれ、ただ独りなんだか解らない闇の中に飲み込まれて、そして自分という存在も自分が愛し慈しんだという記憶さえもが消えてゆくのです
生きて得た全ての存在とお別れしなければならないのです
お別れはイヤです
殊に、置いていかれしまうお別れはイヤです
こんなお別れを、一体あといくつ経なければならないのでしょう
これほどに苦しく悲しいのであれば、ワタシはこれ以上の出逢いを望みません
これ以上何者をも愛したくありません
出逢い、愛するコトを拒絶するというコトとは、すなわち生きるコトを拒絶するコトです
そう思いながら、またいつかどこかで「不本意ながら」何者かと出逢ってしまうのでしょうか
「不本意ながら」その何者かを愛し、慈しんでしまうのでしょうか
今更ながら、「生きる」というコトが怖くてなりません
「愛する」というコトが怖くてなりません
「生きる」とは、「別れる」という言葉と表裏一体の同義語だから
于武陵の「勧酒」という五言絶句があります
勧君金屈卮… 君(きみ)に勧(すす)む 金屈卮(きんくつし)
満酌不須辞… 満酌(まんしゃく) 辞(じ)するを須(もち)いず
花発多風雨… 花(はな)発(ひら)いて 風雨(ふうう)多(おお)し
人生足別離… 人生(じんせい) 別離(べつり)足(た)る
この絶句を井伏鱒二は次のように訳しました
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ
さよならだけが人生だと、ずっと前から知っていたハズなのに…
彼という存在がワタシたちに与えてくれた幸福に見合うだけ、彼の盃に美味しいお酒を満たしてあげたかった
コメント
命日
地球がおひさまの周りを何周しようが、そんなコトに意味などはない