イルカがせめてきたぞっ!!

いいカンジに筆が走らないので、気分転換にこんなのを見つけてきましたょw↓

コレ、見たコトあるヒト、どれくらいいるかなぁ

昭和40~50年代にコドモ時代を生きてないと見てないかも、ですねぇ

出典は、小学館刊行「なぜなにからだのふしぎ」

絵師は、かの小松崎茂画伯!!

太平洋戦争中~昭和後期のオトコのコたちの胸を高鳴らせてくれた、あの、小松崎茂画伯ですょ、みなさん!!

あるときは戦艦を、あるときは戦闘機を、あるときは潜水艦を、あるときは未来の都市を、華麗な色彩でコドモたちの眼前に繰り広げて見せてくれた、我が日本が誇る屈指の絵師です

工業製品… つまり「テクノロジー」という、本来は無機質であるはずの金属塊を、今にも動き出しそうな躍動感と生命力いっぱいに描きあげる才能っていうのは、世になかなか存在しがたいものです

メカニックデザイナーとか、ソレ系のなんとかデザイナーと呼称されるヒトたちって、多くの場合、メカニックそれ自体がスキなヒトがほとんどですから、基本的に定規とかプロッターのお世話になった等角投影法とか二点透視図法とかにもとづいた絵が描かれがちなのです

昨今のCG全盛の風潮の中、比較的容易に設置できる3D-CADと加工装置なども加わって、いまやHGやMGのガンプラ金型の設計図には、2次元の図面データが存在しないなどという時代だそうです

PCの処理速度の飛躍的な向上は、脳内に漠然と浮かんだイメージを容易に視覚化するコトを助け、また、それを描画したディスプレー上の3D画像データの高速な数値化、および切削加工機器への安易なデータ転送をも可能にしました

おかげで、メカニカルなギミックを細部にわたるまで緻密に描画したり、立体物としてモデリングする技術は、かつてないほどの進化を遂げています

でもそれ故に、メカニック自体はきれいに描けてるんだけど、メカニックがソコに存在するコトによってかもし出される肉感とか威圧感、駆動感までを表現しきれてないグラフィックが、ちまたにはウンザリするほどにあふれることとなりました

若手(でもないかな)メカニックデザイナーのカトキハジメさんあたりがデザインしたメカなんかも、ナカナカに魅力的なフォルムをしてはいます

でも、例えばあのヒトが太平洋戦争当時の兵器を描いたらどうなっちゃうんだろうと、いささか危ぶんでしまったりもします(大河原邦男の作画と対比をしながら、非常に鋭い考察をしてるサイトをリンクしておきますから、良かったらココから跳んでみてね)

小松崎画伯は、そういう意味では松本零士とか新谷かおるなんかと同様、機械に生命を吹き込む画法を身につけた、前時代の職人さんなのかもしれません(新谷は松本のアシスタントだったから当然か…)

かつて、機械を構成するひとつひとつのパーツは、小さな町工場(「まちこうば」と読み下しましょう)の、名もない職工のおじさんやおばさん達が、その眼や指、もてる五感の全てを駆使して旋盤やフライス盤、ボール盤を巧みに操り、油まみれになりながらコンマゼロゼロ数ミリの精度で仕上げていたものでした

そうゆう無名の職工たちの技によって生み出された部品たちの集積が、ひとつのメカニックを駆動させていたのです

70年代を生きたコトがあるヒト、あの当時のシャーペンを思い出してみてください

当時、シャーペンって最低でも500円~1000円はしましたよね(500円のが出た時は、かなりの驚きをもって迎えられたような記憶があります…単に貧しいコドモの多い学校だったのかなぁ)

当時の相対的な物価から考えても、なかなかに高価な部類に属するはずのアイテムで、「シャーペン持つこと」は「オトナに近づいたコト」みたいな、一種のステータスをも暗示し得ていました

でも、それは当然なコトだったのだと、今は思います

あのメカニックをバラしてみた時、それが日本の職工たちの技巧の集積みたいな精緻美を有していたのを覚えていますか

そして、機械としての精度も耐久性も、非常に高いスペックを実感させてくれるものでしたよね

それを思えばあの単価は、つぎ込まれた技術に支払われるべき当然の対価なのだと、今にして納得できるのです

そういう優れたアイテムを手にするのは、ソレに相応の者であるべきだからこそ、ソレを手にした時オトナに近づいたような気分になれたのでしょう

「ホンモノはオトナのモノ、オモチャはコドモのモノ」という、暗黙の棲み分けが厳然と存在していた時代でしたもんね

ブランド物のおサイフをおしりのポケットからちらつかせて歩くような、いまどきのお子さまたちみたいなありさまなどは、下品(「げぼん」と読み下しましょう)中の下品と賤しむ、「清貧の美意識」がその根底にはあるような気がします

技術とは、それほどに崇敬に値する「永年にわたる創意工夫の蓄積」を具現したものでした

現在それらの技術はアジア諸国に流出するか、あるいは受け継ぐべき者もなく消失してしまいました

それらに代わって、東南アジアあたりの安い人手と、にわか仕込みのプラスチックの量産技術によって組み上げられた昨今の100円程度のシャーペンは、精度とか耐久性とかトータルバランスといったパフォーマンスにおいて、やっぱり100円程度のものでしかなくなりました

大枚1000円だして購入したモノですらすぐ壊れちゃうし、安定した性能を維持するものは極めて少ないですよね

それは3D-CADと、それに連携したNC旋盤なんかによって安易に造型された金型、そして、そこに流し込んで作ったプラスチックパーツによって製品の大部分を構成してしまったコトに由来します

プラスチックには、金属ほどの安定性も材質特性も望めないのです

プラスチックは平面にも曲面にも非常にたやすく形成できるので、いわゆる「ガワ」とよばれる表面パーツの作成には向いています

反面、劣化が速い上に耐圧性能も低く、素材としても均質な組成であるがゆえに、リジッドな駆動をくりかえし要求されるパーツ(シャーペンでいえばノック部とか芯の繰り出し部なんかです)にはもっとも不向きな材質です

一方、金属には、素材に応じて粘りや剛性、対腐食性など、極めて細目にわたるクセが存在します

ある金属は硬度は高いが熱に脆く、ある金属は粘りはあるが加工が難しい

そういった素材ごとの特性と材料単価とを見据えながら、部品ひとつひとつに合金比を設定し、たとえばスプリングには粘り重視の素材を用い、たとえば芯のグリップ部には精緻な加工がきいて剛性の高いものを、と材料を選定したりすることが可能です

これらのノウハウの結実が、かつてのシャープペンシルでした

スプリングでさえプラスチック製のパーツに置き換わってしまったシャーペンが実在する現在、そういったレトロなテクノロジーなどというモノは、コストと生産時間ばかりかかって採算性皆無の、商品にならない商品なのは充分に理解できます

でも『それこそが誇るべき「技術」なのである』という自負と実績とがこの国の人々の心意気を支え、更には経済的自立を支えてくれていた時代がかつてたしかに実在したのだということを、忘れるべきではないと確信します

小学校の同級生にくらもち君っていう、冴えない田舎者みたいな、もっさりしたオトコのコがいました

勉強も運動もさほど秀でてはいなかったし、技能科目でもあんまり目立たないコだったと記憶しています

でもメカニックを描かせると、異常な情熱とこだわりと集中力と、そして異能を発揮するコでした

このコが描く機械は、どれも精緻の極みで、その上に妙な生命感みたいのが漂うのです

松本零士の模写を小さい頃からしてたそうですから、当然といえば当然なのかな(ひょっとしたらサヴァン症候群に類するコだったのかも…)

彼のその後をワタシは知りません

でも、メカニックデザイナーとかになっていたら、それこそ天職だろうなぁと当時の彼を思い返します

あぁいう、昔ながらの職工肌のオトコが、いまもドコかで、職工としてその腕をいかんなく振るえているコトを夢想します

「サンカが、いまでもドコかにいたらいいなぁ」と夢想するのと同じくらいに、そういうコトを夢想します

小松崎茂画伯… そんな昭和中期~後期のオトコのコたちの、夢と夢想と妄想とを、極彩の絵の具に渾然一体に溶かしこんで描いてみせてくれた、北斎や広重に比肩しうる昭和が誇る職人絵師だと思います

「メカニックとは匠の意気地の具現なのだ」… という技術に対する「畏敬」を、きちんと身体で実感していた稀有な表現者だったからこそ、画伯はその作品に生気すら湛える異能を発揮しえたのではないでしょうか…

だから、ホラ、もっかいよーく見てみてください

イルカがせめてきたぞっ!!

コドモの頃、この絵を見てしまった衝撃ったらなかったなぁ

夏のある日、家族でやって来た大洗の海で、ひとり浮き輪につかまって海上を漂っていたとき

「自分の足の下にはおよそ無限とも思えるほどの深さと広さをもった暗黒領域が広がっているのだ」という事実にハッと気づいてしまった時の、あの底知れない不安

サメやクジラやダイオウイカやリュウグウノツカイといった巨大な生物が蠢いているその領域と、自分がいま漂っている場所とは、何の遮るものもなく当たり前の様につながっているのだという不安

ひょっとしたらその領域の奥深くから、何者かがある日やってくるかもしれないという不安

ヒトって、みずからの行く末を案じてソレに不安を抱く唯一の生物だそうですケド、この絵を見た時、海上を漂っていたワタシの胸に生まれた不安がココロの中にありありと再現されてしまって、それ以来「将来に対するただぼんやりとした不安」を抱くコドモになっちゃったのです(ホントかょ)

機関銃(?)を掃射するイルカたちは、あたかも瞳を描き入れられた絵の中の龍が、にわかに精気を得て軸を抜け出し、天を勇躍するかのよう

背景に描かれた戦車のデザインはあまりにもエキセントリックすぎて、もうそれだけで発狂しそうな形相の地上びとたち

これこそが至純なる精魂の結晶体…

匠の意気地ってカンジでしょう?(そうかなぁ…w)

コメント

  1. ビバ☆メヒコ より:

     久しぶりの更新、おめでとう。
     小松崎茂先生の紹介を、驚愕を持って受け止めました。そこまで趣味一緒だったのね。サンカが出てきた時もどきっとしたが、君も「小松崎先生」ファンだったとは・・・。
     もちろん、この本が出た四年前、即買いでした。
     先生の書かれたほとんどの作品が火事によって焼失し、好事家によって保存されていた一部しか現存しないのは本当に残念ですね。
     タミヤが小松崎先生にイラストをお願いして、木造モデル会社からプラスチックモデルへ会社の移行を無事やり遂げられたのは有名な話です。中身より「絵」の認知が先というのは今や当たり前だけれど、その先駆が小松崎先生だったのだと、今回の内容を読んで改めて思いましたわ。
     
     次回は、三角寛特集で組んで下さい。参考資料ならお分け致しますよ。矢切止夫特集も待っております。

  2. すずね より:

    >ビバ☆メヒコさま
    最近のメカニックアートに、ココロを揺さぶられるコトの少なさ…コレって多分、絵師のヒトが実際に身体で体感したコトのあるメカニックが、手近なトコロのものばかりだということに起因するんじゃないかなぁって、思っています
    せいぜい工事車両や列車の類がまでしか実際に間近で接したコトがないから、コンピュータ周辺機器みたいのとか、コクピット内のインジケータみたいなのの描写ばかりが凝っていて、肉感の乏しい機械しか描けないヒトが増えちゃったんじゃないかなぁ
    造船ドックとか、製鉄工場とか、自衛隊とかの公開演習とかにまで実際ににアシを運んでみれば、きっと触発されるコトがいっぱいあると思うんです
    実体験として、軍艦や戦車といった巨大な兵器を間近に感じた経験が豊富であるからこそ、小松崎画伯の描くメカニックは、生命力さえ感じさせる肉感や威圧感を湛えているんじゃないかな
    圧倒的に巨大な存在を間近に感じる経験・・・それは何も、絵を描く感性を研ぎ澄ましてくれるだけではなく、自らの存在の限界とか、謙虚な在りようとか、そうゆうコトへも思いを及ばせてくれます
    我田引水なおはなしばかりしていると、どんな事象にもおんなじ斬りクチでしか語れない、視野の狭いヒトになっちゃいますケド、肉感を伴った記憶…殊に圧倒的な存在の前になすすべもなかった記憶ってゆうのは、ヒトの在りように大きな影響を及ぼすし、それはできるだけ吸い込みの良い感受性のうちに経験しておくのが良い
    そんなコトを考えさせられます

  3. すずね より:

    上の続きです
    この記事のリンク先に、大河原の絵とカトキの絵の視点の違いを論じてる部分がありますケド、メカニックを見上げる存在として認識しているか見下ろす存在として認識しているかが、結果的に二人の描画に根本的な差異を生んでいるというのは非常に示唆的な言及だと思います
    (意図的か無意識かは別として)ヒトよりも格段に巨大な存在であるハズのメカニックを描く時でさえ、対象となるメカニックを見上げる存在として捉えない手法で描画するのが、重厚感や駆動感を表現できない最大の要因なんじゃないかな
    そうゆう意味から言えば、お台場の実寸ガンダムを肉眼で見上げた記憶ってゆうのは、多くの将来あるヒトビトになかなかステキな経験をさせてくれたのかもしれませんね
    解体作業が始まってしまったそうですケド、是非来年度はジーンかデニムの乗った量産ザクを展示してほしいものですw

  4. ビバ☆メヒコ より:

     そうそう、見上げる感覚を忘れてるよね。有無を言わせない圧倒感を置き去りにした絵は、仏作って魂入れずなのだ。数年前に、尾道に「実物大戦艦大和」を見に行ったんだけど、その迫力にひっくり返ったぞ。涙さえ出た。「ある」のではなく、「いる」感じ。
     個人的には、来年、マ・クベのギャンの展示を切に願います。比較的現実感のある設定のモビルスーツが多い中、盾からミサイルが出るという破綻した設定が素敵。何よりも、格好良いし。

  5. フェラガモ 通販

    イルカがせめてきたぞっ!! この世の涯てで 恋を歌うオカマの残骸/ウェブリブログ

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